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About Memorial Garden About Tomitaro Makino Information

Tomitaro Makino

Dr. Tomitaro Makino
(1862-1957)
Tomitaro Makino was born in Kochi, on 24th April 1862. He is one of the most famous botanist in Japan. In 1940, he published “An illustrated flora of Nippon by Dr. T. Makino”, a reference work that remains indispensable to professional botanists and enthusiasts today.


富太郎の生涯について
日本の植物分類学の父とされる牧野富太郎は、1862(文久2)年4月24日に高知県高岡郡佐川町に生まれました。ほぼ独学で植物の知識を身につけ、1884(明治17)年に東京帝国大学(現在の東京大学)理学部植物学教室へ出入りするようになります。以後、精力的に研究発表を重ね、『日本植物志図篇』(1889)や『『大日本植物志』(1900)などの刊行にたずさわり、1889(明治22)年には日本ではじめて新種のヤマトグサに学名をつけています。  1940(昭和15)年に刊行された『牧野日本植物図鑑』は、現在まで改訂を重ね、植物図鑑として広く親しまれています。


旧牧野邸模型


誕生前夜
幕末の時代

富太郎の生まれた時代は、嘉永6(1853)年 アメリカの使節ペリー来航に始まる幕末動乱の時代でした。富太郎誕生のーヶ月前には坂本能馬が土佐藩を脱藩します。この年には寺田屋事件、生麦事件があり、日本が近代国家への道を歩き出した時でもあります。まさに日本の夜明けと同じく、日本植物学の夜明けに富太郎は産声を上げたのでした。

おいたち
富太郎誕生

幼名を「成太郎(せいたろう)」と名づけられた富太郎は文久2(1862)年4月24日、土佐国高岡郡佐川村(現佐川町)の酒造業を営む裕福な商家「岸屋」に生まれました。何不自由なく育った富太郎ですが、3歳で父佐平、5歳で母久壽(くす)が病死し、6歳の時には祖父小左衛門までも亡くします。幼いころ体の弱かった富太郎は、祖母浪子によって大切に育てられました。 幼名については誠太郎と言われていましたが、没後成太郎であったことが判明しています。

少年期
土佐の山野で植物採集

佐川で勉強するだけでは物足リなくなった富太郎は、17歳で現在の高知市へ行き高知中学校の教員永沼小一郎(ながぬまこいちろう)に出会います。そこで新しい科学としての植物学を教えられ意欲 に燃えた富太郎は、第2回内国勧業博覧会見物と顕微鏡や書籍を買うために明治14(1881)年、19歳の時に初めて上京します。東京では博物局の田中芳男(たなかよしお)と小野職怒(おのもとよし)を訪ね、最新の植物学の話を聞いたり植物園を見学したりしました。

青年期
志を抱いて上京

富太郎は本格的な植物学を志し、明治17年(1884)年に再び上京します。東京大学理学部植物学教室に出入りを許され、大学では書籍や標本を使って植物研究に没頭しました。当時日本の研究者は、海外に植物を送り同定してもらっていました。富太郎も東アジア植物研究の第一人者であったロシアのマキシモヴィッチに標本と図を送っています。図を絶賛する返事が届くなど、富太郎は天性の描画力にも恵まれていました。

壮年期
植物学者への道

『 日本植物志図篇』の刊行や次々と新種の発表をするなど目覚ましい活躍を見せる一方、研究費を湯水の如く使ったこともあり、富太郎の実家の経営は傾きます。明治24(1891)年富太郎は家財整理をするため佐川へと帰郷します。高知で写生や植物採集に励む富太郎は、免職した矢田部教授に代わって教授となった松村任三(まつむらにんぞう)から帝国大学理科大学助手として招かれるこ ととなりました。

晩年
大学を辞す

昭和2(1927)年、周囲の声もあって富太郎は理学博士の学位を受けます。一方で自らが平凡になったと残念に思う気持ちもありました。富太郎は、最後まで講師のまま47年間勤めた大学に辞表を提出し、昭和14年(1939)年に退官します。大学を辞めてからはこれまで以上に植物へ情熱を注ぎ、日本全国を飛び回ります。昭和32(1957)年1月18日富太郎は94歳の生涯を終えました。

くらし
大泉で過ごした日々

山へ採集に出かけられなくなった90歳ごろから、富太郎は大泉の自宅で長い時間を過ごすようになりました。庭に移植した植物を採集したり、標本を整理したり、時に、訪問客と尽きることのない植物の話題に花を咲かせていたそうです。病床につく93歳まで、家族の心配をよそに寝る聞を惜しんで植物の研究や、書き物を続けたエピソードが多く語られています。


富太郎命名植物
明治22(1889)年、日本で初めての命名植物となった「ヤマトグサ」をはじめ、新種、新品種を含め富太郎による命名植物は1千5百種類を数えます。富太郎による命名植物は野生植物だけでなく、野菜や花卉なども含まれ、私たちの身近にある植物すべてが富太郎の研究対象となっていました。 富太郎が「日本の植物分類学の父」と言えるのは、その数だけでなく対象の幅広いことにもよります。




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